シーナ・・・休日のコント  星の間に消えてゆく・・・切ない日々。

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第152話 イチゴの季節 12:46
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     瓜田不納履


     李下不正冠

     



     瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず。

     

     

     意味を知ったのは私が高校二年の時だった。

     

    まったくその通りだと思い当った。私は窓の

     

    外を、誰もいない春のグラウンドを眺めてい

     

    た。悲しい思い出が、いや、悔しい思い出が

     

    よみがえっていた。何年も怒りが収まらなか

     

    った小学校四年の時の思い出だった。

     それが実にお笑いで、タイトルを見ればお

     

    解りいただけるでしょう。私の場合は瓜の畑

     

    でも李の木の下でもない。イチゴ畑の出来事

     

    だった。
     

     

     

     学校で一時間目の授業が始まる前に先生が

     

    言った。


    …先生は残念です。

     

    またまたこれで始まるのかとうんざりした。

     

    …きのうスズキさんの畑のイチゴを盗った人

     

    がいます。

     

    次は目をつむるんだろう。

     

    …みんな目をつむってください。


    先生は言った。それでずっと私の顔を見てい

     

    る。も見ていないから手をあげろというの

     

    だ。

     

     私は思わずため息をついてしまった。木造

     

    校舎の床の隙間にパンを捨てたのが発覚した

     

    時もこのパターンだった。誰の前でもかまわ

     

    ない。ずばり私を指さして、おまえがやった

     

    んだろう、と言えばいいのに。

     その話は数日のうちに家にも届いた。父が

     

    家に帰ってくるなり、来い、と言った。私は

     

    急に顔が熱くなった。明確に手短に答えない

     

    と大変なことになる。そんな時の父は修飾語

     

    が嫌いで待っていられないからだ。


     …おまえがスズキさんの畑のイチゴを盗ん

     

    で食っちまったあげく、さんざん蹴散らかし

     

    て、スズキさんを怒鳴りつけて平然と立ち去

     

    ったというんだが、今度はどんな話だ。言っ

     

    てみな。


    話はとんでもなく大きくなっていた。
     


     学校帰り、同級生のケイジがイチゴの畑の

     

    中で何かごそごそやっていた。イチゴを盗ん

     

    で食べていたのだ。私を見て一目散に逃げた

     

    のでどうしても追いかけることになる。首根

     

    っこを押さえると悲しそうに弱々しく泣き出

     

    した。


     ケイジは何日もお風呂に入っていない臭い

     

    がして口のまわりが汚れていた。ふくらんだ

     

    ズボンのポケットでイチゴが潰れて黒く染み

     

    出ていた。私は急にかわいそうになった。自

     

    分が弱い物いじめをしているような気がした

     

    のだ。


    …先生に言わねえでくれ。


    ケイジは図画が上手でよくいっしょに賞状を

     

    もらった。私は手を放した。


    …次は助けねえぞ。



     スズキさんが自転車をグイグイ左右に揺ら

     

    ながらやって来て、自転車を放り投げて私

     

    の前に立った。私はスズキさんの喉仏が上下

     

    に動くのを見ながらイチゴ畑の出来事を話し

     

    た。人が逃げてゆくのを見たと一つだけ脚色

     

    した。

     

     私ではないとはっきりと告げたが無駄だっ

     

    たようだ。畑は今でいう家庭菜園で、わずか

     

    な面積で栽培されていた。スズキさんは去年

     

    もいちばんいいところで全部盗られてしまっ

     

    たのだと言った。

     

     悔しさが解る気がした。その時、スズキさ

     

    んの表情が急に変になって顔を斜めにして私

     

    を見た。


    …ほんとはおまえじゃ、ねえのか。


    その目つきに心底腹が立った。

     ひと通り私の話を聴くと父が言った。


    …馬鹿ヤロー、半ちくなまねするからだ。


    私は怒りでそこを動けなかった。このままで

     

    はイチゴ泥棒の汚名を着たままになってしま

     

    う。


    …お笑いだな。助けたんじゃねえのか。なん

     

    だよ。今さら格好悪い。

     

    父はもう私を相手にしなかった。

     それで私は今でもイチゴ泥棒のままだ。憶

     

    えている人がいればだが。

     


     (半ちく=中途半端という意味の東京弁。

     

    保身のために主義主張を変えたり、利益を計

     

    って人におもねったりする男に対して使われ

     

    ることが多い。

     

    例・あんな半ちくヤローの言うことなんざあ、

     

    だれも信用しねえよ。)

     


     

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